群馬県太田市にある太田天神山古墳は、5世紀に築造された前方後円墳で、国の史跡に指定されています。 墳丘長は210メートルで東日本最大、全国でも28位の大規模な古墳です。この古墳から長持型石棺の一部や埴輪などが出土しており、被葬者は古代の毛野国の大首長であったと推定されています。
太田天神山古墳のアクセス方法と駐車場
太田天神山古墳は太田市内ケ島町、東武伊勢崎線・小泉線の大田駅から東に歩いて15分ほどの場所にあります。
マイカーやレンタカーでアクセスする場合には、北関東自動車道の太田桐生インターチェンジから国道122号を南下し、石原南交差点で西に折れて10分ほどです。
駐車場は前方部の外周道路の一部が幅広くなっており、ここに無料で駐車ができます。
天神山古墳の東側の女体山古墳
天神山古墳の東には、女体山古墳とよばれる帆立貝式古墳があります。(または造り出しつきの円墳です。)
円丘部の直径は約84メートルで、造り出しの長さは約16メートルです。
築造時期は5世紀中ごろで、天神山古墳と女体山古墳はほぼ同じ時期に造られていることや、設計に使われた尺度が同じとみられることから、天神山古墳の被葬者とも密接な関係があるものと考えられています。
太田天神山古墳の概要について
太田天神山古墳の概要について、現地の案内板には次のとおり書かれています。
史跡天神山古墳
●所在地 太田市大字内ヶ島字天神1606ほか
●指定年月日 昭和16年(1941)1月27日
別名男体山とも呼ばれ、東日本最大、全国でも27、8位の規模を誇る大前方後円墳である。
墳丘の全長210m、後円部直径120m、同高さ16.8m、前方部前端幅126m、同高さ12mである。
周囲には二重の周堀が巡らされ、墓域は長さ364m、幅288mに及ぶ。また北東と西に陪塚を持つ。
墳丘は三段築造で、表面を渡良瀬川系の川原石で葺き上げている。
主体部は竪穴式であるが、既に盗掘を受けており、後円部南裾付近に大型の長持形石棺の一部が露出している。
墳丘部及び中堤帯には円筒埴輪が、また後円部墳頂には器材埴輪が樹立していたと考えられている。
築造時期は5世紀中頃と推定され、被葬者は畿内大和政権と強いつながりを持っていた毛野国の大首長と考えられている。
平成元年3月31日
太田市教育委員会