機神山山頂古墳は、栃木県足利市にある6世紀後半に築造された前方後円墳で、機神山古墳群のなかにあります。全長36メートル、足利市内を一望する機神山(はたがみやま)の山頂に位置し、ほぼ山を削ってつくられています。後円部には横穴式石室があり、副葬品として直刀、鉄鏃、獣帯鏡、馬具などが出土しています。
機神山山頂古墳のアクセス方法と駐車場
機神山山頂古墳は名前の通り機神山の山頂にありますが、自動車で頂上付近まで上ることは可能です。
機神山の南麓には県道の足利環状線が走っていますが、東側に回り込むと足利短大付属高校の入口があります。この裏道をさらに登ると山頂に行き着きます。
機神山山頂古墳の脇には「織姫山荘」があり、手打ち蕎麦やコーヒーのお店「伊とう」が入居しています。
この織姫山荘の前や下に無料の駐車場があります。
歩きで行く場合には、まずは機神山山麓にある足利織姫神社を目指します。JR両毛線足利駅から北に歩いて20分ほどです。
足利織姫神社の脇に登山道がありますので、ここからちょっとしたハイキングで頂上に向かいます。
機神山山頂古墳の発掘成果等について
機神山山頂古墳の現地案内板には、この古墳について次のように書かれています。
機神山山頂古墳(足利市指定 昭和53年3月6日指定)
機神山山頂古墳は、足利市街地の北西、織姫神社のある機神山の山頂にあります。この機神山から両崖山にかけての標高53~118m、東西約500m、南北約600mの範囲の尾根上及び斜面には26基の古墳があり、機神山古墳群と呼ばれています。
墳丘の規模・形状
この古墳は前方部を西に向けてつくられており、墳丘の全長は36m以上、高さ4m以上、2段築成の前方後円墳です。2段目の斜面にはチャートの割石による葺石が施されています。墳丘1段目には葺石がなく、北側くびれ部から後円部にかけてテラス(平場)をつくるための盛土をしているほかは、全体に山裾の傾斜を削り出し、テラス及び一段目の墳丘をつくっています。
埋葬施設
横穴式石室が後円部南側に開口しています。平面形はゆるい胴張りの無袖石室で、現存する全長は8.08m、幅は奥壁直下で1.98m、最大部分で2.73m、入口部で1.53m、高さは奥壁で2.34m、入口部で1.23mあります。奥壁、両側壁、天井石ともにチャートの割石を使用しています。
出土遺物
明治26年に行われた発掘調査の際、副葬品として直刀2、鉄鏃17、獣帯鏡2、六鈴鏡1、馬具(杏葉1、轡1)、須恵器(提瓶)、勾玉、丸玉、小玉等が出土、その他、墳裾から円筒埴輪、形象埴輪(人物・馬・鳥・家・靫・盾)が出土したとの記録がありますが、残念ながら所在不明となっています。
平成20年度に墳丘の規模・形状等を確認するため足利市教育委員会が発掘調査を実施し、くびれ部付近を中心に円筒埴輪、形象埴輪(馬・大刀・靫・盾・さしば等)がたくさん出土しました。本古墳は、古墳の形状や出土遺物等から、古墳時代後期の6世紀後半に造られた古墳と考えられます。墳頂部の標高が約118mと本古墳群中最も高い所に位置し、市街地全体を見渡せるすばらしい場所に立地しています。明治時代の調査記録でも鏡をはじめとした貴重で内容が豊富な副葬品が出土していることからも、この機神山山頂古墳は本古墳群の中でも有力な人物の墓であったと考えられます。
*平成23年3月11日に発生した巨大地震に伴い、横穴式石室の側壁の一部が転落、また、天井石のずれ等の被害があり、石室損壊の危険があったことから、震災後、石室内部に土のうをつめて、古墳を保護するための対策を行いました。
足利市教育委員会(写真略)
上:北側くびれ部の葺石 右上:埴輪出土状況 右下:石室内部(震災直後)
(平面図略)
機神山山頂古墳石室実測図(栃木県埋蔵文化財センター研究紀要第1号より)