天保の大飢饉に救民の旗を掲げて腐敗権力と戦った大塩平八郎の墓

大塩平八郎の墓 観光

大阪市北区の大塩平八郎の墓は、江戸時代の天保の飢饉のさなか、腐敗した役人や豪商らに憤慨して「救民」の旗を掲げて「大塩平八郎の乱」を起こした元大坂東町奉行所与力で陽明学者の大塩平八郎を供養するお墓です。区内の成正寺境内にあり、本堂の脇に養子として家督を継ぎ、平八郎とともに自決した大塩格之助の墓もあります。

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大塩平八郎の乱のアクセス方法と駐車場

大塩平八郎の墓は、大阪市北区末広町1-7の成正寺にあります。
公共交通機関でアクセスする場合は、大阪メトロ南森町駅で降りて徒歩10分ほどです。
マイカーやレンタカーの場合は、阪神高速12号守口線扇町出入口から2分ほどです。
境内に自動車が進入できないことはありませんが、境内の目の前にも30分200円のコインパーキングがあります。

大塩平八郎の乱とは

天保8年(1837)、「天保の飢饉」に対する幕府の無策と私欲に走る豪商らに憤慨し、元大坂町奉行与力で陽明学者の大塩平八郎が門人らとともに大坂市中で反乱を起こしました。この「大塩平八郎の乱」は1日で鎮圧され、大坂市中の5分の1が焼失したほか、乱後しばらく潜伏していた大塩平八郎も自決して終焉を迎えました。

引用:義民のあしあと https://gimin.travelogues.jp/w11/

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