源頼義が磐城に勧請し伝統の流鏑馬も行われる飯野八幡宮

飯野八幡宮 観光

福島県いわき市の飯野八幡宮は、平安時代の康平6年(1063)、源頼義が奥州討伐の際に石清水八幡を磐城の地に勧請して戦勝を祈願したのが始まりと伝えられます。9月例大祭直前には流鏑馬神事が執り行われており、400年以上の歴史があります。縁起物として生姜を撒くことから生姜祭りとも言われます。

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飯野八幡宮のアクセス方法と駐車場

住所 福島県いわき市平字八幡小路84
電話番号 0246-21-2444

飯野八幡宮に公共交通機関でアクセスする場合は、いわき駅からら八幡小路行きバスに乗って6分、八幡小路バス停で下車します。
マイカーやレンタカーの場合は、いわき中央インターチェンジから車で約15分です。
境内の右手に駐車場があり、無料で駐車できます。

飯野八幡宮の由緒と文化財

飯野八幡宮の由緒と伝来する文化財について、社頭の案内板にはに次のように書かれています。

飯野八幡宮由緒
御祭神 品陀別命(応神天皇)息長帯姫命(神功皇后)比賣神三座
鎮座地 いわき市平八幡小路八四
由緒略記
当宮所蔵の文書によれば文治二年(一一八六)後鳥羽天皇の御代、幕府の命により京都石清水八幡宮より御正体を奉じて赤目崎物見岡、今の旧城跡の高地に勧請し、元久元年(一二〇四)社殿を造営し、建永元年(一二〇六)に遷座したと云われている。建暦元年(一二一一)には、八幡宮御浜出の神事が執り行われ、宝治元年(一二四七)には北条泰時好嶋荘を寄進し、伊賀光宗(幕府評定衆飯野氏の祖)が好嶋荘預所となり当宮の宮司を兼ね爾来、累代相継ぎ祀職となり現宮司にいたる。元弘、建武の頃兵火によって社殿を焼失したので、光宗六世の孫伊賀盛光は建武二年(一三三五)に足利尊氏に請うて好嶋荘東西地頭等に命じて社殿を造営せしめた。康永二年(一三四三)幕府より岩城郡小泉村同三年同郡中平窪村又標葉郡落合村等を寄進せられ、貞和二年(一三四六)には放生会流鏑馬神事が定められた。文禄五年(一五九六)旧地を検注し、上荒川村、白岩村の六百五十石を神領として神主飯野式部大輔に寄さしめた。古図面によれば、小嶋山に三の鳥居、仏崎(現松ヶ岡公園)に二の鳥居、一の鳥居(現社前)とつづき桜門、瑞籬門があり、御本社の東に若宮、御供屋、西に阿弥陀堂、山王社、三重塔、十一面堂、籠所が散在し壮大なものであったが、慶長十七年(一六一二)火災により消失ママした。その後元和二年(一六一六)に社殿を造営したのが現在の本殿である。慶安元年(一六四八)徳川家光朱印を下し神領四百石を定めた。延宝二年(一六七四)現社殿を改築し、磐城四郡の総社として社家三十二人供僧十二坊をおき、別に歴代平城主より五十石寄進され、明治十二年に県社に列せられた。
文化財
飯野八幡宮本殿 国指定重要文化財
大薙刀(銘)備州長船住盛景 国指定重要文化財
飯野文書(一六三通) 県指定重要文化財
絵馬双鷹図 県指定重要有形民俗文化財
絵馬引馬図 県指定重要有形民俗文化財
飯野八幡宮の流鏑馬と献饌 県指定重要無形民俗文化財
飯野八幡宮幣殿拝殿 市指定有形文化財
源為朝の図額 市指定有形文化財
刀(銘)八幡大菩薩鈴木加賀守源貞則 市指定有形文化財
鳥居忠政の寄進状 市指定有形文化財
飯野八幡宮流鏑馬の用具類及び献膳の祭器 市指定有形文化財
飯野八幡宮酒壺 市指定重要文化財

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