福井県福井市の足羽神社は、越前にいた男大迹王が継体天皇として即位するにあたりその生御霊を鎮めたものといわれます。いまでは子授け、安産、子孫繁栄の神として知られ、境内のタカオモミジやシダレザクラは県の天然記念物になっています。
足羽神社のアクセス方法と駐車場
足羽神社は福井市の市街地を見下ろす足羽山の山頂にあり、山麓からは福井鉄道福武線の足羽山公園口駅を降り、愛宕坂の石段を登って境内に至ります。徒歩10分ほどの道のりです。
マイカーやレンタカーの場合には、山麓から山上に至る道路がありますので、鳥居の前まで進むことができます。
境内の前面には普通車の駐車が可能な無料の駐車場があります。
北陸自動車道の福井ICから福井市内方面へ約15分ほどです。
足羽神社のご由緒について
足羽神社のご由緒について、社頭の掲示板には次のように書かれています。
足羽神社由諸
御創立 福井市足羽山鎮座、式内・足羽神社は、人皇二十六代継体天皇と大宮地之霊又は坐摩神(生井神、福井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神) 五座を祭祀る神社です。天皇御自創の特徴と御創立以来実に千五百有余年という越前最古の歴史を有する神社です。
継体天皇と社歴 継体天皇は、応神天皇六世の皇孫で、御名を男大迹王といわれ御母の里高向(現・丸岡町南部)でお育ちになり、大変徳の高い御方に成長されました。その頃の越前の国は、沼地で人の住むにも限られた土地しかない国でしたので、男大迹王は大変心を痛められ、足羽山に土地を卜して御社殿を建て、大宮地之霊を祀って、神前に誓い、地の理を調べて現在の九頭龍・足羽・日野の三大川を作り、三国に水門を開き、諸水を海に流されて越前平野が出来ました。これにより農業が盛んになったばかりでなく、川を利用して舟で荷を運べるようになりました。その他、道を作り人々の住居を定め、耕種、養蚕、採石、製紙、その他諸産業興隆の道を教えられ、昔より越前開闢の御祖神と称え崇め尊ばれてきました。
時恰も、二十五代武烈天皇が崩御され、皇嗣ぎが居られなかったので、諸大臣が相談し幾度となく男大迹王を天皇として御迎えに参り、遂に二十六代天皇の御位に即かれました。
此の時天皇は、越前の国を離れるに当たり、この地を慕い、また後に残す人々のことを心配されるあまりに、「末永く此の国の守神に成ろう」と、自ら御生霊を此の宮に鎮め、御子馬来田皇女を斎主とされ、都に立たれました。皇女は天皇の御霊と大宮地之霊を守護り、阿須波の神名により足羽宮と称え奉ることになさいました。福井、足羽郡、足羽川等の名も皆、御神名に起縁している訳です。御神徳 多くの人が何事によらず御報告申し上げ、お願いやお祈りして御守り頂きますが、昔より左記に関する祈願には特に尊い御恵を頂けるとされています。
继体天皇 越前開闢之祖神、産業開発興隆、商売繁盛、工事安全、子授 け、安産、子孫繁栄