滋賀県甲賀市水口町にある家松山大徳寺は、徳川家康も参詣した由緒ある寺院です。もとは禅宗の林慶寺といいましたが、天正16年(1588)に水口岡山城主の中村一氏が浄土宗の浄慶寺と改め、小田原から叡誉上人を招いて開山としています。叡誉上人は徳川家康の学問の師匠でもあったことから、関ヶ原合戦後に家康がこの寺を訪れて寺領を寄進し、家康の「家」と松平の「松」をとって「家松山」としました。
大徳寺のアクセス方法と駐車場
住所 甲賀市水口町本町三丁目3-46
電話 0748-62-0077
大徳寺のアクセスですが、公共交通機関の場合は近江鉄道「石橋駅」で下車して徒歩3分です。
マイカーやレンタカーは新名神高速道路「甲賀土山インターチェンジ」を出て15分、または新名神高速道路「甲南インターチェンジ」より15分です。
駐車場は境内の裏手にあり、普通車10台分となっています。境内裏手にはハローワークがあり道路が混雑することがあります。
境内の見どころ
大徳寺派しばしば火災に遭っており、本堂などの建物はごく最近のものですが、そのほかはいくつかの見どころが挙げられます。
山門前の石垣は積石法とよばれるめずらしい手法で構築されていて、茶道家や作庭家として知られる小堀遠州のものとされています。
山門の脇にある石は、家康の腰掛け石といわれ、徳川家康がこの石に腰を掛けて叡誉上人と話しをしたという伝説があります。
境内の隅にある無文の五輪塔は、三上山の周辺の農民たちが立ち上がった近江天保一揆で犠牲となった土川平兵衛らの冥福を祈るため、弘化元年(1844)に建立されたものです。
大徳寺の由緒
大徳寺の由緒について、現地には次のような解説板が掲げられています。
大徳寺
大徳寺と徳川家康との縁は深く、開山の叡誉 (えいよ)住職が家康の重臣本多平八郎の伯父だった関係から、家康は上洛に際して水口に宿泊し、 家康の家の字と松平の松の字をとって家松山の山号を賜り、また第二世叡誉のとき大徳寺の寺号や香木、寺領等を寄進している。大徳寺の寺紋は、徳川家の定紋である葵(あおい)を入れた立ち葵であり、山門には徳川家紋の三葉葵が刻まれている。また、石垣は小堀遠州の手法が見られると伝えられている。