長崎県長崎市の出島は、江戸時代に我が国が鎖国政策をとっていたころ、海外に対して唯一開かれていた貿易の窓口でした。現在は周辺の埋め立てで陸続きとなっていますが、当時の出島のようすがわかる、カピタン(オランダ商館長)部屋や蔵などが復元されています。また、旧長崎内外クラブや旧出島神学校などの明治時代の洋風建築もみられます。
出島へのアクセス方法と駐車場
住所 長崎県長崎市長崎県長崎市出島町6-1(出島総合案内所)
電話番号 095-821-7200
現在の出島は市街地のなかに位置していますので、公共交通機関でのアクセスも容易です。
JR長崎本線の長崎駅からであれば、路面電車の崇福寺行きに乗り換えて5分で「出島」電停に到着できます。
マイカーやレンタカーを使う場合は、長崎自動車道の長崎インターチェンジからそのままながさき出島道路を通れば5分程度で現地に到着できます。
駐車場は目の前に30分120円の民間の出島パーキングがあるほか、歩いて10分程度の場所に公共の市営松が枝駐車場があります。
出島の入場料金は
出島に入場するには所定の料金がかかります。
入場料は一般個人が520円、高校200円、小中学生100円となっており、団体割引もあります。
障害者手帳(身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳)を持っている人と介護者1名は減免があります。
営業時間は8時から21時まで、最終入場は閉場20分前までであり、定休日はなく年中無休です。
お得な年間パスポート(長崎出島商館員制度)もあり、一般は830円、高校生は310円、小中学生200円となっています。入会から1年間は出島に何度でも入れます。
出島の復元建物
出島の復元建物の内容や由来について、現地の案内板には次のとおり書かれています。
オランダ商館時代の復元建物館
我が国の近代化に大きな役割を果たした出島は、明治期(1885~1889、1897~1904)の港湾改良工事により埋め立てられ、本来の扇形をした姿を失ってしまいました。長崎市では、世界的に貴重な歴史的遺産である出島の復元をまちづくりの重要な核と位置づけ、平成8年度(1996)から本格的な復元整備事業を進めています。オランダ商館時代の出島は、陸地との唯一の出入口である表門から、貿易品の出入りに用いた水門付近にかけての島の西側半分に、主要な建物が集中していました。出島の姿は、大火に見舞われ再建を繰り返す度に変化しましたが、シーボルトも滞在した1820年代頃の資料は比較的豊富に残っています。復元建物はその頃の出島の姿を、発掘出土遺構や図面・絵画・古写真 等の学術的分析に基づいて復元しています。現在、史跡西側の復元ゾーンには、10棟の復元建物が建ち並んでいます。네덜란드 상관 시대의 복원 건물
일본의 근대화에 큰 역할을 다한 데지마(出島)는 메이지기(1885~1889.1897~1904) 의 항만 개량공사로 인해 매립되어 그 본래의 부채모양의 모습을 상실해버렸습니다.
나가사키시에서는 이 세계적으로 귀중한 역사적 유산인 데지마의 복원을 거리만들기의 중요한 핵으로 평가하여 1996년도부터 본격적인 복원정비사업을 추진하고 있습니다. 네덜란드상관시대의 데지마는 육지와의 유일한 출입구인 정문에서 무역품들의 수출입에 쓰인 수문 부근에 걸쳐서 섬의 서측절반에 주요건물이 집중되어 있었습니다. 데지마의 모습은 대화재로 말미암아 재건을 반복해가면서 변화하였으나 시볼트도 체류한 1820년경의 자료는 비교적 풍부하게 남아 있습니다. 복원건물은 그 시절의 데지마 의 모습을 발굴토유구나 도면, 회화(書), 고사진 등의 학술적 분석을 바탕으로 복원하고 있습니다. 현재 사적서측의 복원구역에는 10동의 복원건물이 늘어서 있습니다.Restored Buildings from the Dejima Dutch Factory Period
As a result of land reclamations conducted in the Meiji Period (1885-1889 and 1897-1904), the fan-shaped island of Dejima, which had played a key role in the modernization of Japan, lost its original form. In 1996, Nagasaki City embarked on an ambitious project to restore the island as a historic site of global importance and a focal point in reurbanization plans. The important buildings of the Dejima Dutch Factory clustered in the western half of the island, between the front gate, the only land access, and the sea gate, the portal for cargo from ships. The appearance of the island changed with each fire and reconstruction over the years, but a wealth of information is available on the period around 1820 when PF von Siebold resided here. The restoration project is based on the scientific analysis of information from excavations, historic documents, illustrations and photographs. A total of ten buildings have been recreated in the restoration zone on the western side of the former island.荷兰商馆时代的复原建筑物
出岛为日本的近代化做出了重要贡献、由于明治时期(1885年-1889年、1897年-1904年)的填海造陆工程失去了岛屿原有的扇形形状、是世界珍贵的历史遗产、长崎市 在城建工作中非常重视出岛复原工程。荷兰商馆时代出岛的正门是和陆地连接的唯一出入口、水门是运物进出口贸易品的进出口、从正门到水门之间岛屿的西半部集中了主 要的建筑物。 出岛每次遭遇火灾后重建的岛屿面貌都发生了很大的变化、1820年左右西伯魯特在长崎期间的资料比较丰本。根据挖掘出土的古建筑物和图纸、绘画、当时的照片进行学术 分析、复原当时出岛的英姿。现在、史迹西侧的复原区域有10栋复原建筑物鳞次栉比。