壬申の乱の悲劇を伝える琵琶湖畔の丘陵に建つ弘文天皇陵

弘文天皇陵 観光

滋賀県大津市の弘文天皇陵は、天智天皇の皇子である大友皇子のお墓です。皇位継承をめぐって叔父にあたる大海人皇子と古代最大の内乱といわれる壬申の乱を戦い、敗れて25歳で最期を遂げました。大友皇子の即位は長く公には認められていませんでしたが、明治時代に第39代弘文天皇と追称され、園城寺近くの丘陵地にある古墳が陵墓に治定されています。

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弘文天皇陵のアクセス方法と駐車場

所在地 大津市御陵町3

弘文天皇陵へのアクセスは、京阪電鉄石山坂本線の「大津市役所前駅」で下車して、そこからは徒歩5分ほどの道のりとなります。
大津市役所の真裏にあたりますので、遊歩道に建っている案内板などをたよりに行くのがよいでしょう。
陵墓専用の駐車場は基本的にありませんが、大津市役所の立体駐車場が目の前にあります。ただし、立体駐車場から直接陵墓まで行ける道があるわけではありませんので、いったん駐車場を出て徒歩で裏道まで大回りするようになります。

弘文天皇陵の概要

弘文天皇陵について、現地の案内板には次のように書かれています。

弘文天皇長等山前陵
弘文天皇は天智天皇の第一皇子であった大友皇子で叔父の大海人皇子(後の天武天皇) との皇位継承をめぐる壬申の乱(672)に敗れ、この付近で自害された。日本書紀では、即位は認められていないが、明治3年(1870)に第39代天皇として諡号された。

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