地震で埋没した帰雲城の伝説にゆかりの還来寺

還来寺 観光

還来寺は高山市丹生川町町方にあり、帰雲城主の内ヶ島氏にゆかりの寺院です。境内には飛騨一国をゆるがせた大規模な百姓一揆である大原騒動の供養碑もあります。

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還来寺のあらまし

還来寺は高山市丹生川町町方にある真宗大谷派の寺院です。
天正の大地震では内ケ島氏が拠っていた帰雲城が崩壊し、城主をはじめ内ヶ島一族は滅亡してしまったといわれます。
ところが、奇跡的に内ヶ嶋氏方・氏政の兄弟は難を逃れており、氏方は流浪の末に金森氏に仕え、後に一族の供養のために寺院を創建し、弟の氏政が住職になったということです。

還来寺へのアクセス

還来寺の場所は、岐阜県高山市丹生川町町方1355です。
中部縦貫自動車道の高山インターチェンジで降りて15分です。
アルピコ交通の特急バスで松本バスターミナルから丹生川バス停までおよそ2時間です。
または高山濃飛バスセンターから町方(丹生川)バス停まで15分です。

還来寺の大原騒動供養碑

還来寺には江戸時代の百姓一揆である大原騒動の供養碑があり、現地の案内板には次のとおり記載されています。

大原義民供養碑

    俗名
釈猪平 伊兵衛(町方)
    七三才

    俗名
釈淨雲 治兵衛(町方)

    俗名
釈善了 善十郎(牧ケ洞)
    三一才

為各菩提也

(中略)

今から二百年前飛騨史最大の農民運動大原騒動の時農民代表として最も重い獄門の刑に尊い命を捧げられた十人の方々の為に町方山口の村人達の建てられた石碑であります。上段右の伊兵衛治兵衛の二人は当時町方の名主として運動中特に首謀者と見られ重い刑に處せられた方々です

大原騒動については次のページに詳細があります。

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