新田金山城は群馬県太田市にある中世の山城です。山頂にある標高239メートルの実城(みじょう)を中心に、尾根沿いに堀切や土塁で防備を固めた曲輪を築き、国内屈指の縄張を誇ります。軍神として知られる上杉謙信が5回攻略してもなお落とすことができなかった難攻不落の城で、関東七名城のひとつ、日本100名城のひとつにもなっています。頂上には新田義貞を祀る新田神社も鎮座しています。
新田金山城のアクセス方法と駐車場
新田金山城は東武伊勢崎線・小泉線・桐生線の大田駅から北に5キロほどの場所にありますが、金山城跡までのバスの便はないため、ハイキングの一環で徒歩で向かうか、あるいはマイカーやレンタカー、タクシーを使うことになります。
太田駅から徒歩で行く場合は50分、タクシーであれば10分程度です。ほかに太田駅から新田暁高校行きのコミュニティバスが出ており、「大門入口」バス停までは行くことができますので、駅から徒歩で向かう時間を比較すれぱ10分程度の短縮にはなります。
マイカーやレンタカーの場合、北関東自動車道の太田桐生インターチェンジから県道金山城址線を通ってモータープールまで10分です。
モータープールは金山の中腹にあり、利用は無料ですが、モータープールから山頂までの区間は一般車両は通行できませんので徒歩15分の道のりになります。
なお、一般車両が通行できないだけで、管理車両用にモータープールから山頂近くまでの舗装道は整備されていますので、一般的な山城を見学するよりはかなりアクセスする上での難易度は低いはずです。
史跡金山城跡ガイダンス施設とは
史跡金山城跡ガイダンス施設とは、新田金山城がある金山の山麓に建てられた、金山城跡の歴史を紹介する歴史学習の場および金山来訪者の憩いの場のことです。
建築家の隅健吾が設計した、石垣をモチーフにしたデザインの大きな建物が、大田駅からのアクセス道路沿いにあり、その概要は次のとおりです。
史跡金山城跡ガイダンス施設
所在地 群馬県太田市金山町40番30号
電話番号 0276-25-1067
開館時間 午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日(月曜休日の場合は翌日)・年末年始(12月29日から翌年1月3日まで)
入館料 無料
新田金山城の御城印や御朱印
最近は若い女性を中心に神社や寺院の御朱印を集めることがブームになっていますが、全国各地の城にも登城記念の「御城印」が用意されていることがあります。
新田金山城の場合は、日本100名城のひとつになっていますので、百名城スタンプが山頂付近の南曲輪休憩所に設置されています。
この休憩所にはトイレなどがあるほか、直下には「日ノ池」とよばれる円形の石垣が組まれた池があり、新田金山城の見どころのひとつです。
スタンプは住職や神職が書く御朱印とは違って自分で自由に押すことができます。
金山山頂の新田神社にも御朱印がありますが、こちらは普段は神職不在ですので、賽銭箱の脇に書き置き形式の新田神社の御朱印が用意されています。初穂料は300円です。
新田金山城の概要と略史
新田金山城について、現地の案内板には次のように書かれています。
史跡金山城跡
今に残る金山城跡は、岩松(新田)家純が文明元年(1469)に築城したものが基礎となっています。その後、下剋上によって実質的な城主となった横瀬氏改め由良氏の時代に全盛となりました。上杉氏、武田氏、小田原北条氏、佐竹氏など戦国時代の雄に取り囲まれた中、その攻略によく耐え抜いてきましたが、天正12年(1584)小田原北条氏に捕らわれの身となった城主由良国繁と、その弟長尾顕長(館林城主)の帰還を条件に開城し、小田原北条氏の家臣が城番として配置されました。
天正18年(1590)、小田原北条氏の滅亡と共に廃城となりました。江戸時代には金山「御林」として徳川幕府直轄地となり、現在に良好な城跡遺構を遺す結果となっています。
昭和9年(1934)には、歴史的価値の高さと遺構の残存状況が良好なことから、県内では初めて城跡として「史跡」の指定を受けました。廃城後約400年を経過し、遺構の多くが樹木や竹・下草で覆われ、城の面影は失われていましたが、調査の結果、大規模かつ複雑な虎口形態を持っていたことや、さらに、曲輪斜面の石垣、石敷通路や土塁石垣など、随所に石を多用している山城であったことが明らかとなって来ました。往時(中世末)における関東の山城としては、きわめてめずらしい「石垣の城」という様相が明らかとなりつつあります。
太田市では、この貴重な文化遺産を護り、難攻不落の堅固な金山城の姿を可能な限り再現し、市民の「憩いの場」「歴史学習の場」として広く活用されることを願っております。
1469 文明元 岩松氏 金山城築城 1495 明応4 明応の乱 佐野小太郎、金山城を攻める 1528 享禄元 横瀬・由良氏 享禄の変、 横瀬泰繁・成繁が実権を握る 1565 永禄8 この頃、横瀬は由良と改姓する 1573 天正元 由良国繁、桐生城を攻略する 1574 天正2 上杉謙信、金山を攻める 1580 天正8 武田勝頼 新田・小泉・館林を攻める 1583 天正11 小泉城主富岡重朝、新田・足利・館林を攻める 1584 天正12 小田原北条氏 由良国繁・長尾顕長、小田原城に軟禁される
妙印尼・新六郎を大将として金山に籠城する小田原北条氏に降伏し、由良氏桐生城に退却する 1585 天正13 金山城の北曲輪・根曲輪・西城などに、宇津木氏久ほかの在番が置かれる 1587 天正15 清水太郎左衛門正次、金山在城を命じられる 1590 天正18 由良国繁 長尾顕長、小田原城籠城に加わる 前田利家ら金山城を接収。金山城廃城 由良国繁、常陸国牛久に知行を得る (鳥瞰図略)
群馬県太田市
太田市教育委員会