新羅善神堂は滋賀県大津市のの園城寺北院にある建物のひとつです。三間四方の流造りで足利尊氏が再建したと伝えられ、国宝に指定されています。この堂には白塗りの顔に垂れ下がった目尻の異形の神・新羅明神が祀られていますが、秘仏につきめったに見られる機会がありません。豊臣秀吉の怒りに触れて園城寺が破却された際も、秀吉は新羅明神を祟り神と恐れてこの堂には手を付けなかったといいます。
新羅善神堂のアクセス方法と駐車場
新羅善神堂は観光スポットとしてもよく知られる園城寺(三井寺)を構成する一部ではありますが、一般の拝観入口がある大門のあたりとはかなり隔たった北院にあるため、道案内の看板などもほとんどありませんし、平日に訪れる人もごくわずかです。
そのため位置的にはかなりわかりにくくなっていますが、イメージとしては大津市消防局や大津市役所の駐車場の裏手の山の中になります。
徒歩の場合は京阪電車の石山坂本線の大津市役所駅で降りて、市役所裏手の遊歩道を進み、弘文天皇陵を経て正面の鳥居から境内に入ることになります。駅からの所要時間は歩いて10分ほどです。
マイカーやレンタカーの場合ですが、距離的には名神高速道路の大津インターチェンジから10分程度です。山上町自治会館の横から自動車で進入して新羅善神堂の裏手に行く車道がないわけではないものの、たとえば大津市歴史博物館に車を停めて館内展示を観覧するついでに、博物館の裏の遊歩道を通って、案内看板にしたがって新羅善神堂を目指す方法があります。
新羅善神堂の周辺スポット
新羅善神堂の近くにはさまざまなスポットがありますので、あわせて巡るのもよいでしょう。
新羅三郎義光の墓は、新羅善神堂の手前の山中にあります。新羅三郎義光は源頼義の三男、源義家の弟である源義光のことであり、新羅善神堂(新羅明神)で元服したことからこの呼名があります。のちに常陸国の戦国大名として覇を唱えた佐竹氏の祖ともなりました。
弘文天皇陵は、大津市役所のちょうど真裏に位置しています。天智天皇の崩御後、大海人皇子と壬申の乱で皇位を争い、悲劇的な最期を遂げました。長らく天皇に即位したとは認められてきませんでしたが。明治時代にそれが認められて弘文天皇の諡号が贈られ、長等山麓にある古墳が陵墓に治定されました。
大津市歴史博物館は、大津市の歴史や文化に関連したさまざまな史料やジオラマ、映像などを展示する博物館です。古代の近江京の発掘成果をはじめ、漫画の元祖ともいえるユニークな大津絵など、さまざまな文物を収蔵しており、企画展などもあります。
新羅善神堂の由緒
新羅善神堂の由緒について、現地に次のような看板が建てられています。
新羅善神堂
堂は三間四方の流れ造り、屋根は檜皮葺きの美しい建物で、国宝に指定されている。暦応3年(1339)足利尊氏が再建した。
新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神 で、本尊新羅明神坐像も国宝。源頼義の子義光がここで元服し新羅三郎義光となのったのは有名である。
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