武田神社は山梨県甲府市の市街地の北、武田信玄の躑躅ヶ崎館の跡地にあります。神社としての歴史自体は新しく、地元の偉人を顕彰する運動のなかで大正時代に創建されました。宝物殿には武田信玄の正妻の三条夫人との縁から太政大臣三条実美が寄進した吉岡一文字の太刀をはじめ、武田信玄が用いた軍扇などの神宝が納められています。山梨の桜や紅葉の名所としても知られています。
武田神社のアクセス方法と駐車場
住所 山梨県甲府市古府中町2611
電話番号 055-252-2609
武田神社は山梨駅の北側の市街地の外れにあります。
公共交通機関の場合、JR中央本線「甲府駅」の北口から山梨交通バス経由に乗って「武田神社」バス停で下車します。所要時間は10分程度です。
マイカーやレンタカーの場合、中央自動車道「甲府昭和インターチェンジ」から30分ほどです。
駐車場は鳥居の前の道路の両側のほかにも、境内周辺に何箇所か設けられており、いずれも無料で利用できます。
武田神社の御朱印・御城印
武田神社のご朱印は境内で受け付けていますが、いくつかの種類があるなかから選ぶことができます。
一般的な御朱印帳に揮毫してもらう場合には初穂料300円です。
切り絵のデザインの専用の用紙に書き置きされている御朱印は500円となっています。
また、武田神社のオリジナル御朱印帳は初穂料1700円です。
武田神社のある場所はかつての躑躅ヶ崎館であり、日本百名城にもなっていることから、御朱印とは別に御城印もあります。
神社の宝物殿に授与所がありますので、こちらで申し出ればいただくことができます。
武田神社の概要
武田神社について、社頭の案内板には次のとおり記されています。
御祭神 武田晴信命(信玄公)
鎮座地 山梨県甲府市古府中町二、六一一
御祭神在世中の居館、躑躅ヶ崎館跡
由緒 武田晴信公は清和源氏新羅三郎義光公の後裔で、大永元年(一五二一)十一月三日、武田信虎公の長男として石水寺要害城に生まれました。幼名を太郎、童名を勝千代と名乗り、天文五年(一五三六)三月の元服に際し、将軍足利義晴から「晴」の一字を賜り晴信といい、従五位下大膳大夫に叙されました。
天文十年(一五四一)信虎公の後継者として、甲斐の国主となり、以後三十有余年領国の経営に力を尽くされました。
天正元年(一五七三)四月十二日、天下統一の夢を抱き京に上る途中、信州伊那駒場で病没されました。(行年五十三歳)
大正四年(一九一五)大正天皇の即位に際し、晴信公に従三位が追贈され、これを機として山梨県民はその徳を慕い、官民が一致協力して、社殿を造営、大正八年(一九一九) 四月十二日、鎮座祭が盛大に斎行されました。例祭 四月十二日(御祭神御命日)
祭典終了後、神輿渡御が行われ、甲冑に身を固めた武田二十四将の騎馬が神輿に供奉し、豪華かつ勇壮な神輿の列が桜花の咲く中、甲府市内に繰り広げられ賑わいを見せております。