日本三名園の偕楽園に隣接し水戸藩主の義烈両公を祀る常磐神社

常磐神社 観光

常磐神社は、千波湖を見下ろす高台の上に鎮座する神社で、水戸藩の歴代藩主の中でも特に有名な2代藩主・徳川光圀、9代藩主・徳川斉昭の2柱を祀ります。明治時代に旧藩主を敬慕する人々により、新たに創建されたものです。

広告

常磐神社のアクセス

常磐神社は、千波湖を見下ろす高台の上、日本三名園のひとつである偕楽園に隣接して鎮座しています。

常磐自動車道の水戸インターチェンジから国道50号を通って車で20分ほど、JR常磐線(水戸線)の臨時駅である偕楽園駅からは徒歩ですぐの場所です。
なお、偕楽園駅は水戸の梅まつりが開催される2月から3月にかけての期間のみ開設され、ふだんは列車が停車しません。

常磐神社の祭神について

常磐神社は、水戸藩の2代藩主・徳川光圀を高譲味道根命(たかゆずるうましみちねのみこと)として、9代藩主・徳川斉昭を押健男國御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと)として祀っています。

徳川光圀は権中納言の唐名である「水戸黄門」として知られ、放蕩生活をしていた若いころに『史記』伯夷伝を読んで発奮し、日本の歴史書である『大日本史』の編纂に生涯を費やしました。藩主としては笠原水道の開設や蝦夷地の調査、藩内の社寺改革などの事績が知られます。

徳川斉昭は藩校として弘道館を開設するとともに、藤田東湖や会沢正志斎など身分によらず広く人材を取り立てて藩政改革を推進しました。偕楽園の造営、助川海防城の築城、反射炉の整備などの事績で知られ、水戸学の発展にも大きく寄与しましたが、安政の大獄で謹慎を命じられています。

常磐神社の由緒について

江戸時代、偕楽園には徳川光圀・徳川斉昭の祠堂がありましたが、明治時代に旧藩主を敬慕する藩士や民衆が明治政府に出願し、明治7年(1874)に社殿を造営して常磐神社として創始されます。

常磐神社の社頭の案内板には、次のように常磐神社の由緒が書かれています。

常磐神社
旧社格は別格官幣社です
偕楽園に入る前にまず常磐神社におまいりしましょう
◆御祭神 二柱
高譲味道根命(徳川光圀公 諡=義公)
大日本史編纂の祖
押健男國御楯命 (徳川斉昭公 諡=烈公)
偕楽園開園の祖
◯右のお二柱をご祭神として、
明治七年五月十二日に現在地に鎮座されました。
これ以前には偕楽園内の祠堂に祀られており、
明治六年に明治天皇より勅旨を以て
「常磐神社」の社号を賜り県社に列格、
明治十六年には別格官幣社に昇格しました。
◯光圀公はテレビドラマ等で「水戸黄門」として有名です。
『大日本史』の編纂を始め、水戸学を興しました。
◯斉昭公は最後の将軍「徳川慶喜公」の父君です。
藩校【弘道館】を創設し、【偕楽園】を開園しました。
◆境内にある歴史博物館 【義烈館】には
「大日本史」・「陣太鼓」大砲「太極」等、たくさんの
遺品・遺墨・水戸学関係史料が収蔵展示されており、
一見の価値があります。ぜひご覧下さい。

タイトルとURLをコピーしました