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中島大水道の無断工事で切腹したと伝わる三庄屋を祀るさいの木神社

さいの木神社は、大阪市淀川区にある神変大菩薩(役小角)と三庄屋を祀る神社です。水害に悩むこの地の西尾六右衛門ら3庄屋は、江戸時代初期に幕府の反対を押し切って中島大水道を掘削したものの、無断工事の責任をとって自決したため、さいの木神社に祀られたということです。さいの木神社のアクセス...
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江戸時代の丹南藩主の墓もある融通念仏宗の来迎寺

来迎寺とは、大阪府松原市にある融通念仏宗の寺院です。奈良時代に行基が創建し、平安時代末期に融通念仏宗を開いた良忍ゆかりの寺院として知られます。江戸時代には丹南藩の陣屋が置かれ、藩主高木家の菩提寺として初代藩主らを供養する五輪塔が残ります。この場所は江戸時代の丹南藩で起きた百姓一揆...
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院政を開始した白河天皇を埋葬する成菩提院陵

成菩提院陵は、京都市伏見区にある第72代白河天皇の御陵です。白河天皇は旧鴨川・桂川の合流地点に巨大な鳥羽離宮を営み、藤原摂関家に対抗していわゆる院政をはじめたことで知られています。現在の城南宮の一帯がかつての鳥羽離宮にあたり、成菩提院陵も城南宮近くの幹線道路沿いにあります。成菩提...
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木下藤吉郎が一夜で築いた伝説をもつ墨俣一夜城

墨俣一夜城とは、現在の岐阜県大垣市墨俣町にあった戦国時代の城で、永禄9年(1566年)に木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられています。ただし、史実としての信憑性には疑問もあります。現在はこの場所に大垣城を参考にした模擬天守がつくられ、大垣市墨俣歴史資料館として活...
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金の鳥居や御朱印で知られる金運の神・金神社

金神社(こがねじんじゃ)とは、岐阜県岐阜市にある神社で、金運や財運にご利益があるとされています。鎮座は成務天皇の御代(西暦135年)で、国造の物部臣賀夫城命が金大神を崇敬して創建されたと伝えられています。岐阜県の県庁所在地・岐阜市の中心に位置し、黄金色の鳥居や毎月最終金曜日にだけ...
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沓井城の鎮守として勧請された梅の名所・加納天満宮

加納天満宮とは、岐阜県岐阜市にある神社で、室町時代に沓井城の守護神として勧請されたものです。関ヶ原の戦い後、徳川家康が天下普請として加納城を築城すると、新たに加納城の守護神として川沿いの現在地に遷座し祀られました。境内には戦災をくぐり抜けて残った山車「鞍馬車」が保管されており、岐...
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かつての極楽坊跡に建つ北方鎮護の安祥毘沙門天

「安祥毘沙門天」とは、愛知県安城市にある寺院です。平安時代、この地に庄園として「志貴庄」があったころ、「安城六坊」と呼ばれる6つの寺院があり、そのひとつが「極楽坊」で、現在の「安祥毘沙門天」のはじまりとされています。後に安城松平氏の本拠地が岡崎に移ると、極楽坊も移転したとされます...
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シンボルタワーの「笙の塔」がそびえる安祥城址公園

「安祥城址公園」とは、1979年(昭和54)に開園した安城市の都市公園です。安祥松平氏の発祥の地であるかつての安祥城の跡地にあり、面積は1.18haで、周囲には大乗寺や歴史博物館、市民ギャラリーなどがあります。園内には雅楽に用いられる笙の笛をモチーフにした巨大な「笙の塔」がそびえ...
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徳川家康伝説をもつ名水のひとつ・筒井泉

「筒井泉」とは、愛知県安城市にある湧き水の跡です。織田家の人質となっていた竹千代、後の徳川家康が岡崎に帰還する途中、この井戸の名水を気に入って竹筒に入れて持ち帰ったことからこの名があるといいます。筒井泉のアクセス筒井泉は、愛知県安城市安城町の安祥城址公園の近くにあります。公共交通...
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松平氏の拠点があった安祥城址に建つ了雲院

「了雲院」とは、愛知県安城市にある松平家の拠点・安祥城が廃城となった後に建立された浄土宗の寺院です。風光の地として「安城八景」の「了雲院晩鐘」にも数えられています。また、山門の近くには江戸時代に貧しい農民のために領主に無断で郷倉の米を施して切腹したという義民・中川覚右衛門の顕彰碑...
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