安価な不動産が多い茨城県の特色とは

海 地域

北関東地方の東部に位置する茨城県は、東京都心からの近さや可住地面積の多さもあいまって、一般住宅から別荘まで、さまざまな開発事業が盛んに行われています。

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茨城県の地勢

東関東地方の東部、太平洋に面した茨城県は、人口およそ300万人であり、関東平野の上に位置するため可住地面積が多く、東京都心からも100キロメートル圏にあってアクセスにもすぐれています。このため近年では東京都心のベッドタウンとしての住宅団地や、水利や物流インフラを生かした工業団地などの開発が盛んになっています。太平洋岸は小規模なリゾート開発で多数の別荘が建てられています。

茨城県の北側は八溝山地が連なり、山地が切れる南側に関東平野が広がります。この南部には「坂東太郎」として知られる利根川が横たわり、太平洋へと注いでいます。また、琵琶湖に次ぐ面積を誇る霞ヶ浦も県の南東部にあり、ワカサギ釣りなどでにぎわっています。

県央地方

城茨城県の中心は県央地方と呼ばれており、人口27万人の水戸市が県庁所在地として君臨しています。地方自治法にもとづく中核市にあたり、さまざまな権限の委譲を受けています。

水戸市は徳川御三家のひとつであり、水戸黄門で知られる水戸藩の城下町です。県内の主要な旧街道のほとんどが水戸を経由しており、交通アクセスの上でも要衝といえます。今日でも北関東自動車道や常磐自動車道といった高速道路が走り、JR常磐線や水戸線、水郡線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線のような鉄道路線も市内に乗り入れています。

水戸藩は江戸に近いことから藩主は定府として在任期間のほとんどを江戸で生活していたため、もともと城は簡素なつくりであり、幕末には天狗党・諸生党の戦いで内乱状態にあり、古い時代の建物のほとんどが焼失してしまっています。

しかし、藩校の弘道館や日本三名園のひとつである偕楽園、戦国大名の佐竹氏が築いた水戸八幡宮など、現在に残る貴重な遺構も少なからずあり、観光都市として栄えています。

県央地方のその他の都市は、水戸市のベッドタウンとして人気があり、幹線道路沿いを中心に多くの住宅団地が造成されています。

県北地方

県の北部では人口18万人の日立市が中心的な都市です。日立市は西側に山地を抱えており、いっぽうで東側は太平洋に面しているため、可住地面積が少なく都市開発には困難があるものの、戦前から日立製作所の大規模な工場がいくつも建ちならび、工業都市として栄えてきました。

日立市はいわば企業城下町にあたり、市域の山側は大大的に削平されて社宅などが建設されているほか、企業が経営する病院や福利施設も多くみられます。

周辺のひたちなか市や東海村も工場や原子力施設などが立地しており、これらの都市は常磐線や常磐自動車道などの交通インフラにより連絡され、太平洋岸の茨城港からは広く世界に製品が出荷されています。

県南地方

筑波大学県南地方には人口23万人のつくば市があり、戦後の一時期、東京の過密化防止や災害時の首都機能のバックアップなどの観点から、筑波研究学園都市の開発が行われ、現在も国立大学法人筑波大学や独立行政法人産業技術総合研究所などの教育・研究機関が集積しています。

つくば市内からは東京の秋葉原に向かうつくばエクスプレスを利用することができ、近年このつくばエクスプレス沿線では、大規模な住宅開発や商業施設の開発が進行しています。

日本百名山のひとつである筑波山はこの地域のシンボルであり、東京からの日帰り観光も盛んです。

鹿行地方

県の南東部にあたる鹿行地方には、人口7万人の鹿嶋市があります。古代から鹿島神宮が鎮座し、東国三社巡りで有名ですが、戦後は太平洋岸の砂地に大規模な掘り込み港である鹿島港が誕生し、港湾の周囲には重化学工業のコンビナートが形成されています。

また、プロサッカーチームの鹿島アントラーズのホームタウンとなっていて、カシマサッカースタジアムには全国から多くのサッカーファンが集まります。

砂地が多いこの地方では、メロンなどの畑作栽培が盛んなほか、夏場には海水浴場が開設され、栃木や群馬といった内陸にある海なし県からの観光客を取り込んでいます。その影響もあって、バブル経済時代には小規模な別荘建築が多数登場し、今でも格安不動産物件を求める人たちにとっては知られた存在です。

県西地方

県西部は人口14万人の古河市が中心都市で、利根川を渡るとすぐに栃木県や埼玉県、千葉県に至ることができます。古河市は室町時代に古河公方の居城があり、現在は古河総合公園として整備されています。

市内には東北本線や東北新幹線が通り、最近では首都圏中央連絡自動車道の開通もあって、工場や流通施設の進出がみられ、工業都市としての性格を強めています。

県庁所在地の水戸市から離れた場所にあり、田舎の農村地帯といった風情の集落が多い県西地方は、かつては「県西に県政なし」の言葉で知られ、県央地方などと比較すると大規模開発プロジェクトに乏しい土地柄でした。

しかし現在では、北関東自動車道の開通などを契機として、栃木や群馬など北関東の横の連携軸を担う重要拠点としての役割が注目されつつあります。

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